●Ａ班出動
　その日、【チョウザ・コナミ】はいつも以上に濃い目のチークやアイシャドウで、ほぼ変装に近しい化粧を自らに施していた。
　彼女と行動を共にしている【エリカ・エルオンタリエ】と【ベイキ・ミューズフェス】も普段とは随分とかけ離れた、派手な外観へと変貌している。いずれもチョウザの手による化粧でがらりと雰囲気が変わった訳なのだが、ただひとり【タスク・ジム】だけは大きな荷物を背負ったフトゥールム・スクエアの生徒といういでたちを崩してはいなかった。
　ここは温泉街トルミンの一角、ザ・ウォウ内に置かれている自警団組織ギルッチ団の屯所。
　四人は【ヴォラナ・ケイスン】班長からザ・ウォウ内の死体遺棄現場に関する情報をひと通り、聞き終えたところであった。
　ヴォラナはチョウザ、エリカ、ベイキの妙に厚過ぎる化粧に幾分面食らった様子だったが、チョウザはまるでどこ吹く風とばかりに軽口を叩きながら、ヴォラナからの説明を軽く聞き流していた。
　その間、エリカは手書きの資料を会議卓上に並べている中年団員【クォール・ベルゲンス】に対してじっと視線を注いでいたが、エリカの表情には早い段階から落胆の色が見え隠れしていた。
「追加の資料を持参した。皆様方の捜査に有用であれば幸い」
　もうひとり、【イズロ・ドリウス】という壮年の団員が入室してきて、【馬場・スカットン】から預かってきたというザ・ウォウの詳細な見取り図を会議卓の中央に広げた。見取り図には死体発見現場がバツ印で書き込まれていた。
「この死体発見現場の全てに、こういう紋章が描かれていたって訳ですね」
　タスクがバツ印の傍らに妙な幾何学模様を刻む。彼はここへ来る前に、学園で相当な情報を仕入れていたのだが、それが早速活きた格好となった。
「……それは、何なの？」
「かつて、ブリードスミスが編成した犯罪者集団クラックネットの組織暗号です。この犯罪が同胞の手によるものだということを知らせる為に用いられたんだとか」
　エリカの問いに、タスクは渋い表情で答えた。
　だがヴォラナには【ブリードスミス】も【クラックネット】も、初耳の名前である。不思議そうな面持ちを見せたのは無理からぬ話であったが、何故かクォールには何の変化も見られなかった。
「ということは矢張り、犯人は熟練の殺人者。それもブリードスミスに鍛えられた暗殺技術の達人」
　ベイキは腕を組んで低く唸った。彼女は被害者の殺害状況についての記録を徹底的に調べ上げていた。
　どの被害者も、ほぼ一撃で殺されている。つまり犯人は殺す過程には興味は無く、殺害そのものを目的としている。運ばれて来た形跡があることから、殺害現場と遺棄現場は異なるというのがベイキの結論であった。
「矢張り、まだ情報が少な過ぎるわね。もう一度、現場を見て廻りましょう。何か見落としがあるかも知れないし」
　エリカの発案で、四人は再びザ・ウォウ内の死体遺棄現場を検分する運びとなった。但しタスクだけは少し距離を取り、無関係を装って行動するとのこと。
「ふぅん。それじゃあザコちゃんもお喋りに行こっかな。色んなひととお話したいしぃ」
　派手な化粧には余り似合わない蠍の紋様が描かれた手甲を撫で廻しつつ、チョウザは嬉々として最初に屯所を飛び出してゆく。エリカとベイキは不思議そうに顔を見合わせてから、チョウザの後に続いた。
「あぁちょっと……これ、図書館で調べてきたメモです。これ読みながら……」
　懐から羊皮紙を取り出しながら、タスクが慌てて三人を追った。
　屯所内に残ったヴォラナ、クォール、イズロ達は、本当に大丈夫かと互いに顔を見合わせていた。

●プロファイリング
　ザ・ウォウの大通りから脇道へ逸れる一角に、【プラム・アーヴィング】、【朱璃・拝】、【金田・一郎】の三人が湯治客を装い、立ち話でもしている風で軒下に集まっている。
　と、そこへ【レーネ・ブリーズ】が何食わぬ顔で歩み寄り、そっと囁く様な声でＡ班が移動を開始した旨を三人に告げた。同時に、現在までに分かっている事実をメモという形でエリカから預かってきている。これをプラムに手渡した。
「Ａ班の皆さんを見失わないよう、すぐに追いかけたいと思いますので、これで失礼しますね」
「私はプラム様と一郎様を引き続き陰ながら護衛致します。また後程」
　レーネがＡ班を追いかけてゆくのと同時に、朱璃も軽く頭を下げて人混みの中へと消えてゆく。軒下にはプラムと一郎だけが残った。
　ふたりが去った後で、大通りの左右から立ち上る白い湯煙を眺めながら、プラムは渋い表情を浮かべた。
「犯人の狙いが今ひとつ分かんねぇな。何で、この被害者達は狙われた？」
「確かに被害者同士には何の共通点も無いな……そうだ、ヴォラナ女史を通して馬場一族から、被害者に関する情報をひと通り出して貰った。これから何か、見出せないか？」
　一郎が差し出した羊皮紙を受け取り、プラムは鋭い視線を文字の羅列の上に落とし込んだ。それからややあって、プラムの口角に皮肉な笑みが浮かぶ。
「何か分かったようだな」
「まぁな……被害者同士には確かに、何の接点も見当たらねぇ。だが親族情報に、重大な繋がりがあった」
　曰く、ギルッチ団が把握している被害者は全員、フトゥールム・スクエアの学園生の親や祖父母、兄弟姉妹だったのだ。
「発見場所は全て、ギルッチ団の巡回コース上だった。いい換えれば、巡回班が通らないぎりぎりの時間帯を狙って死体を放置した。つまり……犯人はギルッチ団の内情に精通している者か」
　一郎も独自の観点で考察を重ねる。ヴォラナやクォールからも直接話を聞いており、様々な角度から情報の精査を続けていた。
「アルチェの事件との類似点は、犯人が死体を発見させようとしていることだ。普通、殺人そのものを隠したいなら死体を隠そうとするが、アルチェでも、ここトルミンでもそんな気配は一切見られない」
「要するに死体は、何らかのメッセージだ。じゃあ、誰に何をアピールしたいんだろうな？」
　自らに疑問を投げかけるような口ぶりだが、プラムは犯人の心理を己の頭の中に描き出そうとしている。つまり、己の中に造り上げた犯人の疑似精神に対して、プラムは問いかけているのだ。
　姿を見せない謎の殺人鬼に対しては、死体の遺棄方法や残された状況証拠から、犯人の心理を読み解き、その行動を分析しなければ絶対に近づけない。所謂、プロファイリングと呼ばれる技法だ。
　地理的プロファイリングは既に完了している。死体の遺棄場所、遺棄タイミング、推定死亡時刻から遺棄、そして発見までの時間から推測した結果、犯人はザ・ウォウ内に居る。しかも、ギルッチ団関係者であることは、ほぼ間違いないだろう。
　プラムは再び、視線を湯煙の群れへと向けた。淡いピンクの瞳が僅かに煌めいた。
「……分かったぞ。アピールしたい相手は、学園生だ。フトゥールム・スクエアに在籍するってことは、愛する家族の犠牲を伴うぞというメッセージだ」
「そうか。クラックネットはブリードスミスの組織。学園を弱体化させるには、多くの生徒が自発的に学園から離れていくのが最も効果が大きい、という訳だな」
　つまり、今回の殺人は全ての学園生に対し、自分達の親族が人質に取られているぞというアピールなのだ。
　プラムは再び、一郎のメモに視線を落とした。次に狙われるのも、矢張り学園生の親族だろう。このザ・ウォウの湯治客や地元民の中で、生き残っている学園生の親族は他に居るのだろうか。
「居た。次に狙われるのは、彼女だ」
　一郎が馬場一族から取り寄せた情報には、ザ・ウォウの湯治客リストも含まれている。その中に【ミディア・ギャレン】という中年女性の名があった。現在このザ・ウォウに逗留している湯治客の中では、彼女が唯一の学園生親族、ということになる。

●悪鬼の幻影
　ザ・ウォウ内の温泉宿や土産物店、或いは屋台、飲食店等を廻りながら聞き込みを続けていたチョウザ、エリカ、ベイキの三人だったが、今のところ目ぼしい情報は得られていない。
　少し休憩しようということでエリカとベイキが手近の茶屋へ足を向けようとしたが、チョウザは、
「もっとお話ししてくるー」
　と、ひとりで再び大通りの人混みの中へと消えていった。相変わらずの自由奔放さに、エリカもベイキも、ただ苦笑を浮かべるしかない。
　茶屋内では、先に腰を落ち着けていたタスクの姿が見えた。エリカとベイキは隣のテーブルに腰を下ろし、タスクとは他人を装いながら静かに言葉を交わし始めた。
「さっきレーネさんから、重要な連絡がありました」
　曰く、Ｂ班のプラムが次に狙われる人物を特定した、というのである。精確にいえば、Ｂ班を隠密護衛している朱璃からレーネに連絡があり、そのレーネからタスクへと伝言があったのだ。
　ミディア・ギャレンという中年女性が狙われる可能性が極めて高い、というのがプラムの推理だった。そしてそこに至る論理解析にも、非常に説得力があった。
「成程……漸く合点がいきました。被害者同士に何の共通点も関連性も見出せなかったのは、被害者当人ではなく、その血縁同士にまで視野を広げる必要があったから、なのですね」
　プラムの、犯人の心理に立って考えるというプロファイリング的な思考が、ベイキには欠けていた。今後、同様の事件が発生した際には非常に参考になるといえるだろう。
「アルチェでの事件の犯人だったエリスティアさんは、もうブリードスミスの支配からは抜け出せているそうですが、自分が親友を殺したというトラウマを癒すには相当時間がかかるそうです」
　熱いお茶をすすりながら、タスクは努めて無表情にそう囁いた。だが声の奥には苛立ちと無力感が漂っているのを、エリカもベイキも見逃さなかった。
「あのクォールってひとは、ビューゴとは全然別人だった。ディンス・レイカーの変装傾向とも合致しないしね……」
　エリカは店員に団子とお茶を注文してから、やや残念そうに溜息を漏らした。ここで一気に、敵の黒幕との対決が出来ればとも思っていただけに、肩透かし感が非常に強かったのだ。
　と、そこへ新たな客が入店してきた。レーネだった。
　レーネはレーネで、矢張りエリカやベイキ、タスクとは他人を装う必要がある。彼女は友人を探しに来た体を装って店内を何食わぬ顔で歩き回りながら、タスクのテーブル脇を通りかかった際に、一枚のメモをテーブル下に落としていった。
　タスクは自分の荷物から財布を取り出すついでに、そのメモをそっと拾い上げる。
　そこにはプラムと一郎、朱璃が次に向かう先の情報が記されていた。
「白雪荘という旅館ですね。そこでプラムさんがミディアさんと入れ替わって犯人を待ち受けるとのこと……中性的な外観や雰囲気のあるプラムさんならではの作戦ですね」
　いいながら、タスクはお茶と団子を一気に掻っ込んだ。エリカとベイキも、次なる行動指針がはっきりした以上、ここで無為に時間を浪費する訳にはいかぬと、同じようなペースでお茶を飲み干し、団子を平らげる。
「敵は複数犯の可能性が高い……三人だけでは危ないわ」
「はい、急ぎましょう」
　まずエリカとベイキが席を立ち、会計を済ませて茶屋を飛び出してゆく。それから少し間を置いて、タスクも茶屋を出た。
　入り口を出たところで、レーネと視線を合わせる。レーネも、白雪荘へ向かうという意思表示を瞳の奥の色でタスクに匂わせていた。
（もう二度と、エリスティアさんのような悲劇は出させません）
　タスクは我知らず、拳を強く握り締めていた。

●正体
　温泉旅館の白雪荘は、ザ・ウォウに幾つもある温泉施設としては中規模の部類に入る。
　朱璃は、その白雪荘の本館から露天風呂へと至る中庭に足を踏み入れ、幾つも並ぶ大きな灯篭のうちのひとつに身を寄せるようにして姿を隠した。背後には藪が連なっており、中庭に点在する照明からは、朱璃の姿を見つけるのは中々に難しい。
　時刻は既に夕刻を過ぎ、宵のうちに入り始めている。これまでに発見された死体は全て、死亡推定時刻が日没後から未明に至る間に限定されており、まさにこの瞬間から、犯人が出現する可能性が高まっている。
　じっと息を殺して、朱璃は中庭の石畳を凝視した。そこへ修道士然としたプラムが姿を現した。既にミディアと入れ替わっており、彼女が宿泊している部屋から歩き出し、この裏庭へと至っている。
　そのプラムの背後と、そして前方にひとつずつ、闇から滲み出るようにして男の影が出現した。いずれも、漆黒の戦闘衣に身を包んでいるが、その体格は非常に特徴的だ。
　前方の影はずんぐりと太った中年体型で、後方の影は長身でがっしりしている。そのふたつの人影が、音も無く一気に距離を詰めてきた。プラムはあっという間に前後の行く手を遮られる格好となった。
　中庭の照明で、ふたりの男の容貌が視界の中にはっきりと映し出された。前方の太った中年体型の男は、クォールだった。そして後方から接近した男は、イズロ。ふたりとも、ヴォラナが信頼しているギルッチ団の団員だった。
　クォールは鉄製の鎖を妙な形の絞殺武器として改造したものを携えており、イズロは包丁を改造した細長い刃物を二刀流の形で構えている。ふたりの所作や接近の速さから見て、相当に訓練された暗殺者だということがひと目で分かった。
　プラムがフードを跳ね上げて正体を明らかにすると同時に匂い袋を投げつけ、間髪入れずに魔力の塊を掌上に浮き上がらせて、連弾でクォールに叩きつけた。
　同時に朱璃も石畳上に飛び出し、プラムの背後に迫ろうとしているイズロに正拳と廻し蹴りのコンビネーションで奇襲を仕掛けた。イズロは間一髪で朱璃の攻撃を躱したが、冷静な面の端に多少の驚きの色が見え隠れしている。
　クォールも、プラムの攻撃を受けて慌てて後退したものの、然程の打撃を受けた様子も無く、ただ意外そうな顔でぼんやりとプラムの顔を正面から見つめるばかりであった。
「多くの命を奪った罪……きちんと償っていただきますわッ！」
　猫足立の態勢でイズロと相対する朱璃。ひとりで倒し切れるだろうかと考え始めた時、エリカ、ベイキ、タスクが中庭に飛び込んできてイズロの退路を潰した。
　それからやや遅れてレーネが駆けつけてきた。彼女は直接戦闘には参加せず、楽器を奏で始めた。
　イズロは、覚悟を決めたらしい。両手に携えた二刀流の刃物の切っ先を朱璃に対してのみ、向けた。最後の戦いの相手として、目の前のルネサンスこそが相応しいと腹を括ったのだろう。
　無駄を排した直線的な軌道が、朱璃の急所へと一瞬で伸びる。朱璃は紙一重のタイミングで躱したつもりだったが、激痛を感じた。が、その痛みはすぐに引いてゆく。レーネの演奏の効果が瞬く間に威力を発揮したのである。
　痛みを無視出来れば、朱璃に怖いものはない。確実に急所を貫いた筈だとイズロは驚愕し、同時に隙を作ってしまった。その一瞬を見逃す朱璃ではない。
　アッパー気味の拳がイズロの顎を捉えた。脳震盪がイズロの意識を朦朧とさせ、腰から砕けるように、イズロはその場に仰臥した。
　一方のクォールは、すぐさま踵を返して逃走し始めた。だが脇から飛び出してきた一郎の体当たりを受けて態勢を崩し、大きくよろめいた。
　その先に、いつの間に姿を現したのか、チョウザが艶然と微笑みながら佇んでいた。
「危ないなぁ」
　チョウザがクォールの手を取って引っ張り上げてやろうとするが、クォールは短い悲鳴を上げて、その場に昏倒した。チョウザが装着している手甲の指先から、不気味な針がほんの僅かだけ顔を覗かせていた。

●暗殺者
　一郎とレーネがギルッチ団のザ・ウォウ屯所へと走って一報を入れると、ヴォラナ率いる当直団員が慌てて駆け付けてきた。
　が、そこでヴォラナは言葉を失った。よりによって、ギルッチ団員であるクォールとイズロが犯人だったのだから、その反応も止む無しというところであろう。他のギルッチ団員らも同様の反応だった。
　仕方なく、クォールとイズロを屯所へ引っ立ててゆく役割も学園生の面々が引き受けることになったのだが、その道すがら、タスクがふたりの連続殺人犯に挑発的な言葉を投げかけ、その反応を見ようとした。
「貴殿方のこと学園長に聞きました……取るに足らない団体、ですってね」
　だがクォールもイズロも全くといって良い程に、タスクの言葉を無視していた。
　暗殺者として、相当に訓練されていると見て良いだろう。
　次いでレーネが笑顔を向け、魅了出来ればと挑んでみたのだが、こちらも全くの無反応であった。
　と、ここでタスクとレーネは妙な違和感を抱いた。
　クォールとイズロを捕縛したのは、間違いなく学園生の戦闘力が彼らを上回ったからに相違ないのだが、その後の決着が、あまりにもあっさりし過ぎている。
　何かがおかしい。タスクとレーネはもう一度、クォールとイズロを見た。
　クォールとイズロは、口の中をもごもごと動かしている。特に、奥歯を何度も噛んでは緩め、噛んでは緩めという行為を繰り返していた。
「……猿轡をッ！　早くッ！」
　タスクが何かに気づいたらしく、鋭い警鐘の声を飛ばした。
　即座に反応したのは、チョウザである。彼女は誰よりも早く動いた。ふたりの殺人犯は猛烈に抵抗したが、チョウザの手甲に秘められた毒が再び威力を発揮し、手早く猿轡を噛ませるに至った。
　後で調べて分かったことだが、クォールとイズロはいずれも奥歯に揮発性の猛毒を仕込んでいた。これらの毒はふたりを死に追いやるばかりでなく、大気中へと拡散し、大勢の命を奪うことが可能だったという。
　恐らくは、ギルッチ団のザ・ウォウ屯所内で猛毒をばら撒く腹積もりだったのだろう。
　生粋の暗殺者だ──誰もが、危機感を抱いた。
　これから自分達が戦おうとしている敵の凄みの一端を垣間見たような、そんな気がした。