●できる限りの備え
　エルメラルダの薬師【ノーチェ・ヴェルディ】を捜すことになった8人だが、まず先に手早く下準備を整えることにした。
　何しろ本来の課題は特製の練香を村に設置する事だが、それを為し遂げるための協力者としてノーチェが必要なのだ。

「それでは、軟体草、お喋りし草、正妻の制裁を多めに頂戴しますわ」
　【朱璃・拝】がそう頼み込むと、ノーチェの助手は店の奥の在庫を探し始めた。薬草自体は、薬屋ということもあって余分に持たせてくれる手筈だが、念には念を入れておきたい。
　3つとも厄介な状態異常を治す薬草や雑貨である。敵に『コカトリス』が来ると想定するなら、『軟体草』を用意してもらうのはごく当然な選択だった。だが『お喋りし草』と『正妻の制裁』まで必要となると、想定される敵は大きく限られる。
　暫くして助手が3つの雑貨を持ってきた時、【ダケン・ヴァルガー】が尋ねた。
「ちょっといいか？　ノーチェは何か、別の目的は話してなかったか？」
「いえ、特には。先生は村の皆の為に薬草を探されましたが……？」
「そう、なのか？」
　実を言えばダケンは、ノーチェは魔物退治に出かけたものと思っていたが、ダケンはどうも思い違いをしていたらしい。だがそれなら、ノーチェが探そうとする薬草の生息域などを調べて、少しでも捜索範囲を絞ってみようと考えていた。
「では、ノーチェさんはどんな容姿で、どんな格好をしてるかしら？　似顔絵とかもあるといいんだけど……」
　そこに更に【ニムファー・ノワール】が便乗した。当然と言えば当然だが、ニムファーはまだノーチェに会ったことがない。ありえないと思うが、人違いで別人を救助しては意味がない。その為にも、ノーチェという人物の外見的特徴を知っておきたかった。尚、パールラミタが作った練香を調べてみたが、見たこともない素材が多く使われていることが分かったため、複製は断念せざるを得なかった。

　一方で、パールラミタの練香の内の1個を掌でころころと弄びながら、外の広場で【ヒューズ・トゥエルプ】は物思いに耽っていた。
（違和感？　いや違う。そういや、この現象どっかで……）
　エルメラルダの村全体が急激な眠気と悪夢に見舞われる。それは間違いなく大きな異変だ。だが、ヒューズはそれを何故か知っているような気がした。だが、そのような大事ををどこで知ったのだろうか？
　だがこれ程の案件となると確実に人為的な何かが動いていると、ヒューズは経験と勘から推測した。それだけに森で見た魔物とノーチェだけでなく、何か不審者を見かけなかったかと村人に尋ねてみた。然し、ルクスがうろ覚えだった魔物が『ブレンティンドサーガ』であると確信に至ったが、不審者を見た村人はいなかった。
　眠り？
　悪夢？
　エルメラルダ？
（くそっ、繋がらねえ……！）
　雑音というべき様々な疑念が交差して真実が遠ざかっているようだ。苛立って頭を掻き毟る。
　もっとこの異変に触れてみれば思い出せるかもしれない。その為にも何としてもノーチェを救助して、本来の課題を成功させなければならない。
　掌の中の練香が鈍く光った気がした。

　かくして、下準備を終えた8人に【ルクス・イリニ・ダヌシュ】が合流した。
「付いて行かせてもらう。仲間からオーケーはもらった」
「ルクス様、改めて宜しくお願い致しますわ」
「んー」
　朱璃はルクスに礼をすると、ルクスも小さくぺこりと頷いた。
　何がルクスの心情を変えさせたのかは誰にも分からない。唯、どこか少し嬉しそうな顔をしているような気がした。無論、その理由も分かるはずはなかったが、何故かダケンの顔をちらちら見ては目を輝かせているのは気のせいではないだろう。そんなダケンの顔が少し引きつっていたのを【オズワルド・アンダーソン】は見た。

　ここより先はサフィロの森への道。
　3日前にここをノーチェが通っていったという。
　彼女を救助しなければならないが、果たして無事なのだろうか？
　脳裏によぎる不安を払いながら、9人は先へ進んだ。

●這いずるもの
　エルメラルダの村を発ってから1時間ほど。9人は道の外れを選ぶように歩いていた。
　想定される敵は僅か2種類だが、それらを相手にしていては日が暮れてしまう。だから大きく道を迂回して、外れにある木々と茂みを利用して隠れていくことにした。
　そんな9人の中で【チョウザ・コナミ】は8人よりも更に先を歩いては、息を潜めて辺りの様子を窺っていた。
　辺りをじっと見まわし耳を澄ませる。
　先から聞こえてくるのは静寂。妙な気配はない。背後からは仲間たちの足取りや呼吸が聞こえる。
（ま、早々出くわすわけないって思ってたけどぉ）
　実はチョウザ、ルクスの魔物退治の課題を聞いて、がっかりというほどでもないが少し残念に思っていた。人探しよりはそっちの方が面白いだろう、と。
　尚、ルクス曰くコカトリスは兎に角、ブレンティンドサーガを本気で討伐するのは最終手段らしく、できる限り説得で退いてもらう予定だという。自身を神を疑わぬ尊大な態度に裏打ちされたその力は凄まじいの一言に尽きるが、然し本来は平和を愛し争いを好まないという。また時として、その強大な存在が他の魔物へのけん制になり得る場合があり、エルメラルダのこの近辺で見かけるブレンティンドサーガはそれなのである。
（眠気と悪夢……気が立っている理由がそれだとしたら、役に立つでしょうか？）
　懐の道具袋に入れた練香の感触を確かめ、【ベイキ・ミューズフェス】は周囲に気を張りつつそんなことを考えていた。それがそうなっている理由は分からないが、現在のエルメラルダの奇妙な状況から想像する事は容易かった。エルメラルダの村の人々が強い眠気と悪夢に悩まされているとしたら、周囲にいる魔物とて例外ではないはず。だからこの練香が交渉でのカギになるかもしれない。

　こうして着実に進んでいたが、【レーネ・ブリーズ】が妙な違和感を覚えた。
　エリアルとしての違和感。森に吹く風の異様な流れ。穏やかならざる複数以上の息遣い。それはまるで、何か恐ろしいものに追い立てられるかのような焦燥感。そのような悍ましく不愉快な気配が風となってレーネの肌を撫でた。
　薬師の気配にしては大きすぎる。寧ろ危害を為すものだと察知したレーネは小さく声をかけた。
「しずかに……たくさんのいやな気配がちかづいてきます」
　前方に立っていたチョウザも違和感に気づき、すぐ脇に逃げるようにジェスチャーする。
　9人は近くの茂みや木の上にそっと身を潜めた。そして暫くすると、道の方を何か大きな生物が何かを引きずるような音が聞こえてきた。

『シュルシュル、シュルシュル、シュルシュル』

　コカトリスは蛇の胴体に雄鶏の頭を付けたような魔物である。そのような姿をしたものが群れを成して地を這い横切る様は、安易な例えだが地獄の光景のようだった。
　然し今はその悍ましさに声をあげるわけにはいかない。ここで見つかってはノーチェの探索に差し支えてしまう。だから誰もが息を潜めて通り過ぎていくのを待つしかなかった。
　やがて音が遠ざかっていき、木の上に身を潜めていたヒューズとルクス、しゃがんで身を潜ませていた朱璃が安全を確認して身を潜めている6人に声をかけた。
「ふぅ、行きやしたぜ」
「うん、おーけー」
「身を出しても大丈夫ですわ」
　ほっと、安堵のため息が漏れた。オズワルドも思わず脱力する。
　コカトリス自体はそこまで強敵ではないとはいえ、あれだけの数を相手するとなるとルクスがいても苦戦は必至だっただろう。
「あーぞっとしねえ。アレといい。ノーチェさんの行方不明と村の悪夢。なんか関係しているのか？」
「分からないけど、ありえないとは言い切れないわね」
　ダケンの言葉にニムファーが返した。
　あのコカトリスの大群も悪夢の影響でおかしくなっているのだろうか？　そうだとするなら彼らも被害者なのかもしれない。
　何にせよ、今はコカトリスよりもノーチェが大事だ。もう暫く歩けば、サフィロの密林に着くはず。
　9人はもう片方の脅威に備えながら、身を潜ませて先を急いだ。

　やがて、日が大きく傾いてきた頃に、ようやく木々が生い茂る地域に到着した。
　ここから先がサフィロの密林となるわけだが、9人は絶句して立ちはだかるしかなかった。
「まずいですね……」
　ニムファーの頬を冷えた汗が伝った。
　何故なら。
　そこに、いたのだ。
　ルクスの言う通りの、気が立っている様子の光り輝く女神のような魔物。『ブレンディンド・サーガ』が、そこに佇んでいた。
「貴様ら、何故このような場所に来た……！」

●神を騙るもの
　それは唯、怒気と共に問うてきただけだ。それだけでこの場にいる誰もがを委縮させるには十分だった。
　それでも、何人かは果敢に気力を振り絞り、萎みそうな心を抑えつけた。朱璃とレーネは何とかすぐに動いて対応できるように、と。
「私達は、エルメラルダに薬師のノーチェ様を探しにここへ来たのですわ」
　相手の出方を見ながら、朱璃は言った。実際に嘘偽りのない言葉だが、目の前のそれは素直に納得してくれなかった。
「このような時にそのような者がここまで出歩くと？　脆弱な人間にできるなどと思うか！」
　常に他者を見下す高圧的な性格は、他の個体にも多く見られる特徴だ。そのような理由で否定されることに朱璃は少し立腹したが、鍛えられた冷静さで心を抑えつけた。
「夏の課題のとは……別のかぁー。それは兎に角、も―ちょっとこっちの言い分を聞いてもいいと思うんだよねー」
　チョウザの飄々とした様子にそれは眉を顰める。色々と人間を見てきたつもりだが、これほどに掴みどころのない人間は見たことがなかった。
「……貴様、度胸は据わっているようだな？」
「あーいや、そんなことはないし？　唯、ザコちゃんは素直なだけだよぉ？」
　相手が何者であろうとけろっとした様子のチョウザに、思わず毒気を抜かれてしまったようだ。
　震える心を理性でなだめつつ、ヒューズは尋ねてみた。
「なあ何故、そんな穏やかじゃないんですかねぇ？　そりゃ確かに、このような事態になれば落ち着かなくもなりますがね」
「ふん、矮小な森の動物や魔物に人間たちも、全部が訳の分からぬ眠りと悪夢に悩まされている。吾がいながらにして、どこの誰がこのような狼藉を働いたものか……」
　その言葉を意外に思ったベイキが言葉をは挟んだ。
「あなたも悪夢にうなされているのでは、と思いましたが、違うのですね？」
「吾がこの程度のまじないにかかると思ったか。ふん、見下されたものよ」
　その返答にベイキは見当が外れたことを悟る。そうなると、折角持ってきた練香もあまり意味をなさなくなるのではないか？　それはレーネとヒューズも同じだった。
「貴様、何を持っている！？」
　一瞬の心の油断が、懐の練香を弄っていた。それを見抜かれたヒューズは焦ってすぐにそれを見せつけた。
「い、いやいや。そんなおかしなものじゃありやせんぜ」
「よこせ！」
　強く言われて、ヒューズはやむなくパールラミタの練香を放るように投げ渡した。
　それを受け取ると、それは少し意外そうな顔をしてそれをじっと見つめていた。暫くして、それは再び9人に問うた。
「強い退魔の力を感じる。何故、貴様がこのようなものを持っている？」
「それは」
　練香を賄賂感覚で渡せば納得してくれるかと思ったが、ここできちんとした理由を考えていなかった。
　するとここで、レーネが言葉を割り込ませた。
「魔法陣です。この練香を村において魔法陣をつくって、エルメラルダのひとびとを悪夢からまもるのが、わたくしたちの課題なのです！」
　レーネはいつでも全員逃げ出せるように準備を整えていたが、自らも練香を差し出して見せた。
「課題、だと？」
「その課題を為し遂げるためにも、ここより先に向かったとされるノーチェさんの力が必要なのです。どうかお願いです。エルメラルダの村人を助けたいので、どうか先へ進ませてくれないでしょうか？」
　さらにベイキも練香を見せつけつつ、畳みかけるように説得した。
　精一杯にひねり出した言葉が目の前の相手に通用するかは、分からない。
「……」
　それはしばらく考えた後に、練香をヒューズに投げ返した。
「ふん。まだ疑う余地はあるが、これ程の魔法の品を作ったお前達の師に免じてみるとしよう。どこへとなりと行くがいい」
　どうやら、こちらの言い分を信じてくれたようだ。
「但し！　これで人間共を救えていなかったら、唯で済むと思うな！！」
　そう言い残すと、それは9人の前を去っていった。
　圧倒的な気配が遠ざかっていくのを感じて、一行はへたり込みそうになった。だが、まだノーチェを助けていない上に、全体的には折り返し地点に過ぎない。それでも、最大の懸念が去ったことは大きな成果だった。
「日が暮れてきたわ。うかうかしてられないわね」
　ニムファーはいつの間にか空は赤見がかってきた事に気付いた。あまり時間をかけると日が暮れてしまう。遅くなりすぎる前に、何とかしてノーチェを見つけ出さねばならない。
「だから面倒、だから嫌、ブレおばさん」
　『ブレンディンド・サーガ』が去っていった方向を見つめながら毒づくルクスに、8人は乾いた笑いすら出せそうになかった。

●帰路へ
　そして一行はサフィロの密林に入る。
　そこで見たのは、村で見たものと同じような異様な光景だった。獣道であろうと木の傍であろうとお構いなしに、あちこちで低級の魔物が苦しそうにしながらも眠っていたからだ。
「下手に触らなければ大丈夫かしら」
　ニムファーは、足元で眠るゴブリンを見やりつつ避けて歩いた。眠ってしまえば無害だし、ノーチェの探索が最優先のため無理に起こす理由もない。とりあえず、うっかり踏みつけたりしないよう気を付ければ良さそうだ。
　少々想定外の光景を目の当たりにしたが、やるべきことに変わりはない。
　
　純粋な視覚、嗅覚、チョークの矢印、風の流れ、地理、似顔絵、痕跡とあらゆる手段を講じていたため、思いのほか簡単にノーチェを見つけることができた。
「学園の……生徒さん？」
　ノーチェは樹を背にしてもたれかかっていた。衣服は所々土埃で汚れており、その四肢は石化していた。
「はい。助手さん頼みでノーチェさんを助けにきました。一体、何があったのですか？」
　ベイキの問いにノーチェはゆっくりと答えていった。
「気力回復の薬草を集めたはいいのですが、帰りにコカトリスの大群に襲われまして、ここまで引き返したのです。何度も機を見て戻ろうとはしたのですが何度もコカトリスに襲われて、やがて最後の軟体草も尽きてしまいました。軽装だったなら引き返さずに逃げ切れたかもしれませんが……」
　どうやら、重装備をしたのが逆に仇となったということらしい。オズワルドは納得して頷く。
　朱璃は助手に用意させた軟体草をノーチェに貼りつけた。すると見る見るうちにノーチェの四肢の石化が解けていった。
「他に怪我はありませんか？　辛いようでしたら肩をお貸ししますわ」
「ありがとう。ここまでしてくれれば大丈夫ですよ」
　そういうとノーチェはぎこちないながらもゆっくりと立ち上がり、服の土埃を軽く払った。
「ではすぐ引き返しましょう。まだ、気がかりはありますが」
　ベイキの言う通り、脅威は完全に取り払ったわけではない。
　すると突然ルクスは、弩を真上に向けて何かの矢を射出した。それは一定の高さまでいくと、青白く強い光を発して消えた。
「おいルクス、今のは何だ？」
　ダケンの問いかけに、ルクスは仄かに笑う。
「合図。すぐに分かる」

　空はすっかり暗くなっており、枝葉の隙間から月が見えた。
　そんな帰路のさなか。
「思わしい状況では、ありませんね」
　ベイキは目の前のそれを見て苦々しく呟いた。
　油断をしたわけではなかったが、コカトリスの大群に見つかってしまったのだ。
　軟体草の予備は十分にあり、何とかすれば戦えないことはないが、できる事なら早めにノーチェを村へ送り届けたい。
　そうしている間にも、雄鶏の頭を持った蛇はぞろぞろと群れを成して、行進するかの如くこちらへと近づいてくる。
「ここは任せてほしい。殿なら1人でも大丈夫」
　突如としてルクスはそう言った。
　なぜそこまでの自信があるのか分からないが、ノーチェを見つけた時にやった『合図』がここので活きるのだろうか。
　皆がルクスの考えを汲み取ると同時にダケンが叫んだ。
「ここは逃げるにしかずだ、コッチだぜ！」
　そう叫ぶと同時に、一行は唯々全力でコカトリスの群れを突っ切るように走っていった。所々コカトリスに突かれるが、すぐに軟体草を張り付けて強引に押し切る。
　やがて、ノーチェを連れた一行は群れを抜け、村への道を駆けていった。
「……！」
　だが、それに便乗しなかった者が2人いた。
「私が注意を惹き付けますのでその間に弩で攻撃を！」
「フトゥールム・スクエアの理念にしたがったルクス・イリニ・ダヌシュさんが不利になるのはおかしいので、加勢します」
　朱璃とレーネだった。ノーチェを助け次第、ルクスの課題に同道しようと考えていた2人がルクスに加勢することを決めたのだ。
　聞き分けのない良き後輩にため息を吐きつつ、ルクスは言った。
「持ちこたえて。援軍が来る」
　そう言いながらルクスは、稲妻をまとった無数の矢をコカトリスの群れに放った。

　そして言う通り、暫くするとルクスの課題の生徒が応援に駆け付けに来たことで、コカトリスの大群は瞬時に片づけられた。

●結末
　それから夜通しで魔法陣構築の作業を行ったことで、エルメラルダの村に安寧の眠りが訪れた。
　だが、8人――特にヒューズはずっと疑念を抱き続けていた。
（……思い出した。お化け盗賊。けど、これだけの事を誰がどうやって……？）
　暗躍している者を見つけることはできなかったが、明らかに何か悪意が潜んでいる気がする。
　それだけでなく、人も魔物も問わず『眠らせよう』とするのだ。それこそが最大の目的のように思える。
　ヒューズはそう強く確信した。