トロメイアの街の外れにある森の中。
　依頼のあった家というよりは、その跡地と言うべきだろうか。
　何故ならその空間だけが異様に開けており、眩い太陽の光がそこで起きた惨事の爪痕を照らし、不自然に盛り上がった地面とまるで月面のように、所々クレーターのような穴が空いているのが見て取れる。
「お待ちしておりました！　はじめまして、姉【リディアーネ】のお守りを依頼した【ジュリアーネ】と申します。気軽に名前で呼んでください」
　息を切らせて挨拶をするジュリことジュリアーネの顔は、隠しきれない疲れの色を見せていた。
「はじめまして魔法学園【フトゥールム・スクエア】から来ました、賢者・導師コースの【クロス・アガツマ】と申します。今日はよろしくね」
　クロスはジュリに余計な緊張をさせないように、物腰柔らかく余裕を持たせたトーンで挨拶をする。
「同じくはじめまして僕は【ナノハ・Ｔ・アルエクス】です。よろしくね。あっ、そうだ。これ、学園の入学願書です。お姉さんと妹さんの」
　姉の先を憂いていたジュリの想いに応えようと、ナノハは事前に学園に事情を話して願書を、ジュリの分を含めて二枚用意していた。
「気を使っていただいて、ありがとうござい……」
　パッと顔が明るくなったジュリが、願書を受け取ろうと手を伸ばしたその時、突然横からスッと伸びてきた白く細い腕が、願書を持っていってしまった。
「何コレ何コレ！　ん？　入学、願、書？　アンタいつの間にこんな物手に入れてたの？」
　先程まで跡地でボーッとしていたはずのリディことリディアーネが、いつの間にか寄ってきていたようだ。
「ちょっと、お姉ちゃん！　お客様に失礼でしょ！　無礼な姉で本当にすみません」
　はしゃぐ姉を叱りながらジュリがナノハに、深々と頭を下げる。
「気にしないで下さい。お姉さんも嬉しそうで良かったです。ってクロスは何で笑ってるの？」
　この一連のやり取りと跡地の情景を、どこか微笑ましげに眺めているクロスに、ナノハが問いかける。
「ふふっ。いや、俺もいろいろ無茶をしたものだ。君のお姉さんを見ていると思い出してつい、ね。それと、入学の仕方は簡単だ。願書に必要事項を記入して校門の前まで行くだろう？　で、大声で叫ぶんだ」
「ぎゃあ！」
「そこまで迫真である必要は、ん？」
　クロスが入学について説明している中、三人の身体を叫び声が通り抜けていく。
　声がした方に顔を向けるとそこには、リディが願書を両手で頭上に掲げる形ですっぽと穴にはまっていた。
「助けてぇ……」
　情けないリディの声が力無く辺りに漂う。幸い願書は無事のようだ。
「お姉ちゃん……」
　呆れたジュリがリディから願書を取り上げる。
「お姉さん、僕の箒に捕まって」
　ナノハの箒によりリディも無事、引き上げられた。
「まだ出発もしてないのに、もうこんな迷惑を……昔はこんなんじゃなかったのに」
「何にせよ怪我はしていないし、リディさんについては今ので少し理解できたから、良かったかもしれない」
　落胆するジュリをクロスが前向きにフォローする。
「だと良いのですが」
「ふぅ、助かったぁ。みんなありがとね。じゃ、遺跡に向かってレッツ、ゴー！」
　リディは握り拳を天へと突上げ、声高らかに号令する。
　しかし、ナノハの救助とクロスの気遣いを台無しにするリディの行動に、ジュリの堪忍袋の緒が切れる。
「お姉ちゃん！」

「何ソレ何ソレ！　どうなってんの？」
　リディの躍るような声が空へと突き抜けていく。
「えへへ。さっきも使ったんだけどこの箒はね、魔力を込めると宙に浮いて飛べるんだよ。ある程度、練習や技術は必要だけどね」
　ナノハの持ってきた実物の魔道具を前に、リディの目は宝石のように輝いていた。
「いいなぁ〜。でも私よりジュリの方がうまく扱えそう……。いいよね、運動できる人は」
　リディの瞳の輝きが徐々に閉じていく。それは次第に羨望と、どこか悲哀に満ちた眼差しに変わっていた。
「実は僕、幼い頃は運動が苦手だったんだ。でもね、練習を重ねていく内に段々できるようになったんだ。だからお姉さんもきっとできるようになるよ！」
　それを聞いた途端、リディの瞳に再び輝きが戻る。
　ナノハがリディの相手をしている間クロスは、周囲の状況とリディの行動に細心の注意を払いながら歩いていると、突然リディが静かになる。
　先程までの高揚した空気は冷め、何とも言えない緊張感が静寂と共に周囲を包み込む。
　クロスとナノハは不測の事態に備える為に身構える。
　するとリディがクロスの方を向いて口を開く。
「プロテクトを掛けてるんですね」
　少々不意を突かれたが、クロスは冷静さを欠くことは無かった。
　魔法の研究をしているというのは強ち適当などではなく、彼女なりに本気なのかもしれない。
　しかし彼女は特別、魔力が高いというわけではなさそうだ。となれば何か秘密を持っているのだろう。恐らく妹さんも知らないであろう何かが。
「これは、将来有望だな。実は俺も、学園で魔法を研究していてね。つまり君と同じさ。君も自身に魔法を？」
　突然の出来事だったが、これをクロスは冷静に返す。
　リディの表情が徐々に渋くなる。どうやらクロスのプロテクトを解除することはできなかったようだ。
「上には上が、か」
「なら尚更、学園に行くといい。君ならもしかすると、その深淵に辿り着けるかもしれない」
　しょんぼりするリディをクロスが道を示してフォローする。
　すると、消沈していたリディの表情が急に明るくなる。
「焦っても仕方ない。魔法については私が無事、遺跡の探索ができたら教えてあげます」
　そう言い終わると同時に、リディが走り出す。
「遺跡が私を呼んで、あっ……」
　踏み出した先に地面は見当たらなかった。その代わりにまたすっぽりとはまりそうな、穴が空いていた。
　しかし、影は穴に吸い込まれることなく、その場に留まっている。
　クロスの憑依によりリディの行動を修整することで、穴を回避して事なきを得た。
「あ、ありがとうございます。また、穴に落ちるとこだった……」
　申し訳無さそうにはしているので、本人も反省はできるようだ。

　遺跡の探索は何事もなく無事に終えることができた。
　クロスはいつでも庇えるように構えつつ見張り、ナノハは危険が及ばないようにリディの先を見回り、安全の確認をする。
「お待たせ！」
　壁画の写しや素材をこれでもかと鞄に詰め込んだリディが戻ってきた。
「もういいの？　と言っても日が暮れてきてるから、これ以上は危険だね。えっと、灯りは」
　ナノハがそう言いかけた時、視界がパッと明るくなる。
「それなら大丈夫さ。ランタンを用意してきたからね。これで帰路を照らしていける」
　クロスのランタンの灯りが薄暗い闇をかき消す。
　空はすっかり鮮やかな緋色に染まり、濃紺の暗闇が夕日を飲み込もうとしていた。

　淡く暖かいランタンの灯りが帰路を優しく照らす。
「学園ってどんなとこ？　そういえば聞けてないや」
　リディがポツリと口を開く。
「お姉さんは魔法の研究をしたいんだもんね。うん、色々やってるし、世界最高峰の環境だと思うよ。機械や設備も揃ってるし、書物も一般に出回らない物含めて沢山あるし。特に僕やクロスが専攻してる賢者・導師コースはそういうのが専門なんだ。まぁ、僕は魔道具とかの近代技術の方がメインだけどね」
　興味と迷いの狭間と言ったところだろうか。それでもナノハの説明で少なからず未知への好奇心を、揺さぶることはできたはず。
「入学のことなら焦ることはない。時間はまだ待ってくれるはずさ。でも君なら大丈夫。学園には君と同じかそれ以上に個性的な生徒が揃っているからね」
　クロスはナノハとはまた違った角度から背中を押す。
「そうだよ。メメたんって学園長のことなんだけど、ウチも大概だから心配いらないよ」
　すかさずナノハが後押しする。
「そこでならこの魔法を……あっ！　質問にまだ答えてなかった。私にかかってるこの魔法は、私とその親しい者から私より弱い魔物を遠ざけるんだけど、使用者には様々な災いが降りかかるんだ。で、まだ未完成なこの魔法は不安定で、使用者の精神年齢を著しく下げるんだ、だから……」
　リディが説明している途中で、誰かの足音がこちらに近付いてくるのが聞こえた。
　やがてランタンの灯りの先から、ひとつの人影が浮かび上がってきた。
　ジュリだった。
「クロスさん、ナノハさん。今日一日、姉のお守りをしていただいて、ありがとうございました。助かりました」
　ジュリが再び深々と頭を下げる。
「こちらこそ。次は学園で会えるといいですね！」
「今日はなかなか貴重な体験ができた。俺も感謝するよ。それと、学園はいつでも君たちを待ってるよ。それでは」
　ナノハに続いてクロスが別れの挨拶をして、この先また会うかもしれない姉妹を後に、学園へと帰還する。

「学園かぁ……」
　リディが願書を眺めながら呟く。
「お姉ちゃん、入学するの？」
「ん？　せっかく願書も貰ったし、それにジュリの為にもね」
「お姉ちゃん……！」