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【泡麗】誘惑の吐息



ストーリー Story

 またこいつか、と【ヒノエ・ゲム】は左腰にこぶしを当てた。
「……で、注文は?」
 さっさと決めろよな、と無愛想そのものの表情で右手のフライ返しを左右にふる。
 ローレライはアハハと笑った。
「あいかわらず接客をしようという姿勢すら見せないね。すごいな」
 うっとりしたような口調だ。
 しかし返すヒノエの対応ときたら、コップ一杯の冷や水をぶっかけるかのごとく冷たい。
「アホか。これのどこが誉められた態度だ」
「そこがいいんじゃないか。素敵だよ」
「す……」
 面食らったらしくヒノエはしばし言葉を失ったがようやく、
「……素敵って何だよ」 
 ぼそっと小声で告げ、「じゃあA定食な!」と一方的に注文を決めてしまって、揚げ物だのポテトサラダだのを乱暴にトレーに載せていく。そんな彼女の様子を、ローレライの少年は目を細め楽しげに眺めるのである。
 じろっと三白眼でヒノエはトレーを突き出したが、少年は満面の笑みで受け取った。
「僕、お姉さんのこと気に入っちゃったな」
「うるさい。とっとと席につけ。後がつかえてる」
 行列には誰も並んでいないのに、ヒノエは荒々しく声を立てた。
 ――変なヤツ!
 ヒノエは元密輸商人だ。禁制品の運搬にかかわっていたが、学園に懲らしめられて引退。多額の借金を背負った父親のために、現在は学生兼調理配膳係としてフトゥールム・スクエア内の学食で働いている。
 仏頂面で愛想のひとつも言わず、いつも不機嫌な猫みたいな目で仕事をしているヒノエに、このところよく声をかけてくる学生がいた。【ミゲル・アミーチ】と名乗るローレライで、ヒノエよりずっと年少に見えた。
 このミゲル少年がしばしば、というかこのところ毎日、それもつねに食堂がガラガラになる時間帯にばかりやってきては何かと話しかけてくるのである。
 ミゲルは澄んだ水色の髪、おなじ色の瞳、あどけない風貌のいわゆる美少年というやつだ。だがあいにくとヒノエの好みは年上、そうでなくてもせめて同年齢(タメ)だ。こういうお子様には興味がない。……自分だって十四歳だったりするのだがそれはさておき。
 なのに、
「明日も来るからね」
 などとミゲルが言って去ると、そう悪い気はしなかったりもする。
(何やってんだ、私――)
 ガシャガシャ音を立て食器を洗いながら思う。
(寂しいのかな)
 絶対に認めたくないが、そういう気持ちもあるのかもしれない。
 ヒノエには、このところあまりいいことがない。それどころかいら立つことばかりだったりする。借金の金額たるや気が遠くなるほどだし、嫌々参加している授業とくに座学は退屈だし、日々は単調だし……それなりに親しくしている学園生ともこのところ交流がなかった。なんだかうるおいに欠けている気がするのだ。
 だからかもしれない。
 お姉さんのこと気に入っちゃったな、か――。
 妙にこの言葉が、ヒノエの心に残ったのは。
(平然と言いやがって。クソッ)
 なんだか胸がこそばゆい。

 ★ ★ ★

「平然と言うのが肝心だよ」
 ミゲルは唇を斜めにつりあげた。ヒノエに相対しているときには決して表にしない表情だった。
「ああいうおぼこい娘は直球の態度に弱い。あと一押しといったところか」
 さすがミゲル様、見習いたいものです、と口々に称賛が起こる。
 学食の裏、ちょうど木立になっていて陽が射さない場所だ。ミゲルを囲むように数人の若者が立っている。
 若者の男女比は半々くらいだろうか。だが種族という意味では偏りがあった。全員ローレライなのだ。黄金、白、濃いブルー、髪は色こそ多様だが、いずれも水のような流体であることからもあきらかだろう。
「ヒノエと言いましたか? あの娘がそれほど重要とは思えませんが……」
 知的な風貌の女性ローレライが言った。真新しいフトゥールム・スクエアの制服を着ている。
「そうか、リリィは知らなかったか」
 作戦に参加して間もないからな、とミゲルは言った。
「あの娘はああ見えて、学園主力メンバーとのつながりがある。メメルの覚えもめでたいようだ。それでいて自我が弱い。だから」
「引き抜きにはもってこい、というわけですか」
 ミゲルは鷹揚にうなずいた。
「ヒノエが裏切れば学園長メメルも動揺するだろうな。かなりな」
 なお、ミゲルが名乗る『アミーチ』なる姓は偽名だ。彼は本名を【ミゲル・シーネフォス】と言い、ローレライ代表リーベラント王国の王族である。具体的には現在の代王【アントニオ・シーネフォス】の実弟にあたる。ついでにいえば、外見こそ十三歳くらいに見えるが実年齢ははるかに上だった。
「ヒノエは私に任せろ。お前たちは総勢であと三、四人はヘッドハントするのだ。相手は学生でも職員でも構わん。学園の連中を骨抜きにしてやれ」
 手段は各自に任せる、とミゲルは言った。
「色じかけ、金銀、あるいは知識や将来の特別待遇、何でもいい! 連中が食いつきそうなものは王弟の名において許す」
 足元に置いた学食のトレーをミゲルは蹴倒した。手つかずの料理が四散し土にまみれる。
「こんなまずいものを食わされている連中だ。さぞや誘惑には弱いことだろうよ」
 あざ笑うように言った。さすがにこの所業には表情を曇らせたローレライもあったようだが、声を上げられる者はなかった。
「たとえ『勇者』を目指していようと、我々のリーベラントへの忠誠心にはおよばぬものだ。信念にとぼしそうな学園生、心の弱そうな学園生を標的に定めよ。目標は一人一殺だ。では解散!」
 ミゲルが号令するや、学園生に化けた、あるいは旅人の風体をしたローレライたちはぱっと四方に駆け出した。


エピソード情報 Infomation
タイプ EX 相談期間 4日 出発日 2021-10-18

難易度 簡単 報酬 少し 完成予定 2021-10-28

登場人物 4/4 Characters
《終わりなき守歌を》ベイキ・ミューズフェス
 ローレライ Lv27 / 教祖・聖職 Rank 1
深い海の色を思わすような、深緑の髪と瞳の彷徨者。 何か深く考えてるようにみえて、さして何も考えてなかったり、案外気楽にやってるのかもしれない。 高価そうな装飾品や華美な服装は好まず、質素で地味なものを好む。 本人曰く、「目立つということは、善きものだけでなく悪しきものの関心も引き付けること」らしい。 地味でありふれたものを好むのは、特異な存在として扱われた頃の反動かもしれない。 神には祈るが、「神がすべてをお救いになる」と盲信はしていない。 すべてが救われるなら、この世界に戦いも悪意もないはずだから。 さすがに口に出すほど罰当たりではないが。 ◆外見 背中位まで髪を伸ばし、スレンダーな体型。 身長は160センチ前半程度。 胸囲はやや控えめBクラスで、あまり脅威的ではない。 が、見かけ通りの歳ではない。 時折、無自覚にやたら古くさいことを言ったりする。 ◆嗜好 甘いものも辛いものもおいしくいただく。 肉よりも魚派。タコやイカにも抵抗はない。むしろウェルカム。 タバコやお酒は匂いが苦手。 魚好きが高じて、最近は空いた時間に魚釣りをして、晩ごはんのおかずを増やそうと画策中。 魚だって捌いちゃう。
《勇者のライセンサー》フィリン・スタンテッド
 ヒューマン Lv33 / 勇者・英雄 Rank 1
「フィリン・スタンテッド、よ……よろしく」 「こういう時、どうすれば……どうすれば、勇者らしい?」 (※追い詰められた時、焦った時) 「黙って言うこと聞け! 殴られたいの!?」 「ぶっ殺してやる! この(お見せできない下劣下品な罵詈雑言)が!!」   ###    代々勇者を輩出してきた貴族スタンテッド家(辺境伯)の令嬢。  一族の歴史と誇りを胸に、自らもまた英雄を目指してフトゥールム・スクエアへと入学する。  愛と平和のために戦う事を支えとする正義感に溢れた性格で、『勇者らしく人々のために行動する』ことを大事にする。  一方で追い詰められると衝動的に罵声や暴力に訴えてしまう未熟な面もあり、自己嫌悪に捕らわれる事も多い。 『彷徨う黄昏に宵夢を』事件で対峙したルガルとの対話から思うところあったのか、頑なな勇者への拘りは少し角がとれたようだ。 ※2022年8月追記 全校集会『魔王の復活』後、昨年クリスマスに結ばれたルガルとの子供を身籠っていた事が判明 (参考シナリオ) 恋はみずいろ L’amour est bleu https://frontierf.com/5th/episode/episode_top.cgi?act=details&epi_seq=649 ◆口調補足 三人称:〇〇さん(敬語では〇〇様) 口調:~かな、~ね? その他:キレた時は『私、アンタ、(名前で呼び捨て)、(言い捨て)』 ◆Twitter Sirius_B_souku
《人たらし》七枷・陣
 ヒューマン Lv18 / 賢者・導師 Rank 1
異世界:情報旅団テストピアという所に住んでいたが、とある仕事の最中に、この世界に強制転移してしまった。 普段は一人称おじさん。真面目、シリアスな場合はオレ。 本来は50手前のアラフィフおじさんだが、何故か30歳以上若返ってしまった。強制転移した経緯が原因と思われるが真偽は不明。 普段はいかに自分の得意分野だけで楽出来ないかを考えているダメ親父的な人間。 自分や同行する仲間が危機に陥ると気合いを入れて打開しようと真面目モードに。 厄介事に巻き込まれるのは嫌い。お金にならない厄介事はもっと嫌い。でも一度関わってしまったら何だかんだ文句言いながら根気よく取り組む。 やれば出来る人。でも基本ダメ人間。 恋愛事は興味をあまり示さない枯れ気味な人。超若返っても現状は変わらず。 どうにかして元の世界へ戻る為、フトゥールム・スクエアに入学。 転送、転移関係の魔法や装置を徹底的に調べる事が目下の目標。 魔法系の適性があったらしいので、雷系を集中的に伸ばしたいと思っている。自前で転移装置の電源を確保出来るようにしたいのと、未成熟な体躯のフォローとして反応速度メインの自己強化が主な理由。理想は人間ダイナモ。 転移直前まで一緒にいた仲間の女性3名(マナ、マリア、マルタ)の安否を心配している。 「はぁ~…どうしてこんな事になったんだ?…おじさん、ちゃんと元の世界に戻れるんだろうか…こんな厄介事は前代未聞だよ…トホホ」
《運命選択者》クロス・アガツマ
 リバイバル Lv26 / 賢者・導師 Rank 1
「やあ、何か調べ物かい?俺に分かることなら良いんだが」 大人びた雰囲気を帯びたリバイバルの男性。魔術師であり研究者。主に新しい魔術の開発や科学を併用した魔法である魔科学、伝承などにある秘術などを研究している。 また、伝説の生物や物質に関しても興味を示し、その探求心は健やかな人間とは比べ物にならないほど。 ただ、長年リバイバルとして生きてきたらしく自分をコントロールする術は持っている。その為、目的のために迂闊な行動をとったりはせず、常に平静を心掛けている。 不思議に色のついた髪は生前の実験などで変色したものらしい。 眼鏡も生前に研究へ没頭し低下した視力のために着けていた。リバイバルとなった今もはや必要ないが、自分のアイデンティティーのひとつとして今でも形となって残っている。 趣味は読書や研究。 本は魔術の文献から推理小説まで幅広く好んでいる。 弱点は女性。刺激が強すぎる格好やハプニングに耐性がない。 慌てふためき、霊体でなければ鼻血を噴いていたところだろう。 また、魔物や世界の脅威などにも特に強い関心を持っている。表面にはあまり出さねど、静かな憎悪を内に秘めているようだ。 口調は紳士的で、しかし時折妙な危険性も感じさせる。 敬語は自分より地位と年齢などが上であろう人物によく使う。 メメル学園長などには敬語で接している。 現在はリバイバルから新たな種族『リコレクター』に変化。 肉体を得て、大切な人と同じ時間を歩む。  

解説 Explan

 先日、ローレライの国家リーベラントは「フトゥールム・スクエアに実力なし」と断じ、自分たちがすべての霊玉の守護者となることを要求しました。【メメ・メメル】学園長は当然ながら拒否したものの、リーベラント代王【アントニオ・シーネフォス】は敵対行為の開始を宣言、アークライトの指導者【テオス・アンテリオ】も参入し、現在フトゥールム・スクエア、ローレライ、アークライトの三者は抗争に突入しています。
 抗争といっても剣を交えるわけではありません。彼らは学園の活動を妨害しようというのです。

 現在、リーベラント代王の弟【ミゲル・シーネフォス】が率いる数人のローレライがフトゥールム・スクエアに潜入しています。
 彼らの目的はヘッドハンティング、すなわち学園生の引き抜きです。

 本エピソードにおいてあなたは、
 (1)ローレライから引き抜きのターゲットにされる
 (2)他の誰か(PCの学園生、またはNPCの学園生、先輩や職員)が引き抜かれようとしているところに遭遇する
 ことになります。

 彼ら刺客(!)は主として、異性のキャラクターによる色恋営業をはかってきます。ですがこちらの事情は知りようがないので、同性愛者のキャラクター、そもそも性別を自覚していないキャラクターに対しても見当ちがいのモーションをかけてくることでしょう。
 こちらが知識欲旺盛、あるいは金銭に貪欲とみると、その方向のアプローチもしてくるかもしれません。
 いずれにせよ誘惑に負けないよう、あなたらしいアクションプランで対抗してください!
 エピソードガイドに描いたヒノエの危機を救う、特定の教師を騙そうと近づいて来た刺客を遠ざけるなどのアクションもお待ちしています!

 もちろんぶん殴って追い払うことも可能ですが、もっとエレガントに『そんなことをしても無駄』とわからせるほうがリーベラントへのダメージは大きくなることでしょう。


作者コメント Comment
 ここまでお読み下さりありがとうございました!
 マスターの桂木京介です。

 今回は基本、個別描写を想定しています。
 美しい異性が突然あなたに言い寄ってきたら……! というお話です。
 金銭や知識、地位に名誉、あるいはみずからの肉体をもちいて彼ら彼女らは巧みに学園を離れリーベラントに付くよう誘惑してきます(リーベラントは本来ローレライだけの国家のはずですが、異種族も特別待遇で認めるなどと言ってきます)。
 ローレライは知的種族なので手練手管には長けていることでしょう。色々やってくるにちがいありません。
 それでも学園に残るというあなたの意思、きっぱり拒絶するロジックを示してください!
 あるいは誘惑に負けそうになる同級生や教師を救いましょう!

 次はリザルトノベルで会いましょう。
 ご参加お待ち申し上げております。桂木京介でした!!


個人成績表 Report
ベイキ・ミューズフェス 個人成績:
成績優秀者

獲得経験:180 = 60全体 + 120個別
獲得報酬:4800 = 1600全体 + 3200個別
獲得友情:1000
獲得努力:200
獲得希望:20

獲得単位:0
獲得称号:---
◆目的
ヒノエさんに付きまとう悪い虫退治

◆懸念
先日のローレライの妨害から、今度は学園内での情報収集、引き抜き等の工作を危惧

◆状況
学食の厨房で魚捌いてたら、ヒノエさんにちょっかい出す怪しいローレライ発見
眼鏡掛けて、三角巾を頭とマスク代わりに巻いてる

◆罠
ヒノエさんがちびっこに渡すサラダに、飾り切りで花の形に切った野菜を入れておく
これが今日も裏に捨てられてたら……奴らは食事のふりして、ヒノエさんに悪意を持って近付いてる証拠

ついでに、客も引けてるし……学食厨房の裏が見える厨房内の窓から、裏に誰か居ても気付かれないように、裏の様子を窺ってみる

悪巧みや食事を棄てる現場を押さえたら、カジキ打撃職人でお仕置き☆

フィリン・スタンテッド 個人成績:

獲得経験:72 = 60全体 + 12個別
獲得報酬:1920 = 1600全体 + 320個別
獲得友情:500
獲得努力:100
獲得希望:10

獲得単位:0
獲得称号:---
●方針
何度も嫌がらせられ続けるのも業腹だし
引き抜き話に乗じて、ローレライたちの事情を聞きだしたい

●行動
声を掛けてきたローレライから逆に話を聞き出してみる。

引き抜きの話に乗り気そうな『ハッタリ』をかけつつ、
後ろ盾は大丈夫なのか、組織の政争に巻き込まれるのでは?と話を振り
敵対行為の首謀者、干渉しようとしているのが誰なのか、全てのものが歓迎してる?と『会話術』で聞き出し
(リーベラントの名は伏せられても、動向である程度『推測』できないかと)
ある程度聞けたら『前向きに検討します』で逃げ。変な言質取られないよう注意

情報は後ほど学園に報告。
王国も一枚岩でないなら、こちらから関係改善を仕掛けられないかと提案を

七枷・陣 個人成績:

獲得経験:72 = 60全体 + 12個別
獲得報酬:1920 = 1600全体 + 320個別
獲得友情:500
獲得努力:100
獲得希望:10

獲得単位:0
獲得称号:---
【目的】
勧誘してくる女やミゲルの内心を看破して言い負かし凹ます

【行動】
ワイズクレバーで蔵書漁り真っ最中に勧誘してくる女性とフォローに入る上司?っぽい子
おじさんは転移魔法の資料探しで忙しいんだよ、そういうのお断りなんですけど?
ほう、そちらの国にはそれがある?取得してる導師も多数?そりゃあ結構な事だねぇ
で、その魔法の名は?消費魔力は?効果範囲は?転移可能距離は?それだけ大言吐けるんだ、当然答えられるよねぇ?
ミゲル、心にも思ってない事は言わん事だよ。自分自身も騙せん嘘は、聞いている方を不快にさせる
外見相応の演技指導を10年位受けるのをオススメするよ
お前さん、目の奥でこっち舐めてるの丸わかりなんだわ

クロス・アガツマ 個人成績:

獲得経験:72 = 60全体 + 12個別
獲得報酬:1920 = 1600全体 + 320個別
獲得友情:500
獲得努力:100
獲得希望:10

獲得単位:0
獲得称号:---
引き抜きのターゲットにされる

だがまあ落ち着け。彼女は本気か?
まさか……噂に聞く罰ゲームで、さえない奴と付き合う系のあれか!?

相手には申し訳ないが疑ってかかろう
事前調査と会話術、人心掌握学や気配察知で最近の噂を聞き込み等で調査してみる
彼女の交友関係や他にも似たようなことが起きていないかなど

その過程でもしヒノエ君に辿り着けたら、相手をよく知るように助言しよう
ミゲル君はヒノエ君を知っているが彼女は彼を何も知らないと思う

真相が判明したらそれでも残ると引き抜きの子に伝える
俺はまず霊玉の責任を果たさないとならない。逃げたくはない
でも、嘘でも嬉しかった

それともうひとつ
クラルテ王の病……本当にただの病なのか?

リザルト Result

 午前中の講義は退屈だった。
 尋問回避法や縄抜け、足跡の消しかたなど、虜囚からの逃走を想定したサバイバル術の講義だった。多くの生徒にとっては有益なものだろうが、あいにくと【フィリン・スタンテッド】には読み飽きた本ほどの価値もなかった。その手の経験が豊富すぎるからだ。(ちなみにいえば囚(とら)われた経験ばかりではない、囚える側に回ったことも数限りない)
 うたた寝の衝動を振り切り、フィリンは講義終了までもつれこむことができた。昼休憩開始の鐘を聞き、あくびをかみ殺しながら購買に立ち寄る。
 サンドイッチの包みに手を伸ばした。カツサンドだ。たまたまだった。とりたててこれが食べたかったわけではない。
 包みを手にしたフィリンの手の甲を、誰かがつかんだ。
 はっとして振り返る。
「……失礼」
 見覚えのない青年が立っていた。すらりと背が高い。整った顔立ち、陶器のような肌、泡麗(ローレライ)族特有の流体がかった髪をしている。髪色は濃いブルー、新品同様の学園制服を着ていた。
「すみません。どうぞ」
 青年はフィリンに譲ると手で示した。カツサンドはこれが最後のひとつだ。
「いえ、どうぞ」
 フィリンは半歩下がった。なんとなく見ただけだから、と言う。だが、
「あなたが先ですから」
 僕はいいから、と青年はカツサンドを取らない。
「いいって、別のものにするし」
「僕こそ別のものにします」
 どうぞ、そちらこそどうぞ、と、シーソーで遊びみたいな譲り合いになってしまう。そうこうしているうちに、
「じゃあ僕が!」
 ひょいと第三の手が伸びてサンドイッチをつかんだ。少年みたいな中年男性、教師の【イアン・キタザト】だった。
「いや~、週一回はこれ食べないとダメなんだよねぇ♪」
 などと言いながら、スキップするような足取りでキタザトは去って行く。
 あっけにとられたようにフィリンはキタザトの背を見送っていたがまもなく、
「……ふっ」
 軽く吹きだしてしまった。カツサンドが惜しかったわけではない。一部始終を滑稽に思っただけだ。青年も、細長い眉を八の字にして苦笑している。
「よければお昼、ご一緒しませんか? カツサンドをさらわれた者同士」
 青年はフィリンに笑顔をむけた。
「申し遅れました。僕はパオロ、【パオロ・パスクヮーレ】と言います」

 食事は独りで取るほうが好きだから、と断ってもよかったし、日ごろのフィリンならおそらくそうしていただろうが、今日は気まぐれに応じてみることにした。
 パオロはまるで社交ダンスの達人だ。たくみにフィリンをエスコートする。
「このあたりにしましょう」
 と言って陽当たりのいいベンチにフィリンを導いた。秋風が肌をなでる。青々とした芝生が一望できる一方で、本道からはずれているせいか人通りがなく閑かだ。
 腰かけようとするフィリンをとめて、どうぞ、とパオロはハンカチを広げて敷物がわりとした。レディ扱いはくすぐったいが、フィリンは好意を受け入れる。
「あなた新入生?」
「はい。先日編入したばかりです」
 陽光を背にしたパオロの姿は神々しいほどだ。憎らしいくらい美形である。
「そう。この学園、広いから道に迷うでしょ」
「ええ、今日も教室まで行くのに難渋しました」
「そのわりに、さっきは迷わずこのベンチまで来たみたいだけど」
 はははとパオロは声を上げた。
「バレていましたか。そうです、直前の講義をさぼってあたりをつけていました。ランチは静かな場所でとる主義なので」
「で、場所をセッティングして、私に声をかけるタイミングをうかがっていた、と」
 パオロも少なからず動揺したようで、まさかそんな――と言いかけたがフィリンは首を振る。彼の手元を指して、
「カツサンドのかわりに買ったもの、私はエッグサンドだけどあなたはサラダだけね。普段食べないんでしょ? サンドイッチなんて。その体型を維持するために」
 うかつでした、とパオロは自分の耳に手をふれた。
「フィリンさん、あなたは僕が予想していたよりずっと鋭い」
「私に何の用かしら? もしかして私に学園を裏切れって話?」
「そこまで見抜かれていたとは……脱帽です」
「まさか、これはハッタリよ」
 今度はフィリンが笑う番だった。
「見事にひっかかってくれたけど」
「参ったな」
 またパオロは耳にふれた。困ったときの癖らしい。
「白状するよ。そう、僕はあなたをスカウトしにきたんだ」
「引き抜いてどうしようっての?」
 拒絶の姿勢をフィリンは示さなかった。腹の底まで明かす気がなかったのはもちろんだが、パオロの話に興味があったのも事実だ。
「早合点しないでほしい。僕らは魔王軍じゃない。魔王と対抗する勢力だ。でも学園とは別」
「フトゥールム・スクエア以上に、魔王に対抗できる組織があるとは思わないけど」
「それはちがう。一日半調べてまわったけど、ここはたしかに規模こそあれ内部が自由すぎる。正直、魔王軍と戦うことに特化しているとは思えなかった」
「ずいぶん早急に結論を出すのね」
「すまない……偏見が入っているのかもしれない。だけど僕らは」
「『僕ら』?」
「そこまで簡単に口を割ると思うかい? フィリン・スタンテッド」
 偽りのフルネームを改まって呼ばれると落ち着かない。でもね、とフィリンは表情を硬くした。
「秘密が多すぎない? その『お相手』は確かなの? ついてみれば叛徒で使い捨てられました、なんてのはごめんだわ」
 当然だね、とパオロは言い、逡巡ののち改めて口を開いた。
「わかった、僕の責任で明かす。リーベラント王国だ。アントニオ代王は種族を問わず有能な人材を求めている。ここまでのやりとりで確信したよ。あなたはまちがいなく有能だ。強くしなやかで、賢くてしかも……魅力的だ」
「魔王に対抗するのに魅力的である必要があって?」
「最後のは僕の主観だ。フィリン、あなたは一目惚れを信じるかい?」
「信じない」
「僕も信じなかった。今日までは」
 フィリンはパオロを見た。
「私に惚れただけじゃないんでしょ? いいわよ……そういうの嫌いじゃないから」
 かつてフィリンが所属した盗賊団にもスケコマシはいた。女を騙してその気にさせて、さんざ利用する手合いだ。即断はできないが、パオロにそういう人種の匂いはしない。
 だとしたら本気で? だったらこの人、相当――。
 黙っておこうとしたのだが、言葉はフィリンの唇をついて出ていた。
「相当な馬鹿ね。あなた、私の何を知っているっていうの?」
「何も知らない。それどころか、僕はずっと騙されているような気がしている。あなたが冷静で優秀な仮面の下に、本性を隠しているような気がしてならない。それが恐い……だから、惹かれる」
 フィリンは憫笑を浮かべた。パオロを哀れんだためか、我が身を哀れんだためか、自分でもわからなかった。
「教えて、私とどんなことをしたいの? あなたを見せてよ」
 手を伸ばし、フィリンはパオロの膝に手を置いた。制服越しでもわかる。すべすべとした手ざわりだった。
 それは――と言ったままパオロは絶句し、みるみる紅潮していった。
「で……出直してくる!」
 バネでも入っていたかのように席を立つ。
「でもフィリン、僕はあなたをあきらめない」
 また来る、と逃げるように去るパオロの背中に、フィリンはこう告げることを忘れなかった。
「お誘い、大変に光栄だけれど、私も将来は辺境領をあずかる身……身辺だけの話では判断しづらいわ」
 もちろん嘘ではあるが、この情報がパオロにどう作用するか見てみたいとも思ったからだ。

 ★ ★ ★

 同じ頃、【クロス・アガツマ】も大いに戸惑っていた。
 ランチタイムの学食はにぎわっている。やかましいと言ったほうが的確か。運動会くらいひらけそうな大ホールはまるでライブ会場だ。食器のぶつかる音、とりとめのないおしゃべりに笑い声、怒鳴り声までしているのはケンカが発生しているからではなく、そうでもしなければ声が届かないからに相違ない。グラスがひっくりかえる音も響くし、まだ陽も高いのに乾杯して酒盛りしている一群も散見される。
 けれどクロスの気に入っている一角は、そうした騒ぎとはまるで別次元のように静謐だった。食堂の片隅、ほとんど僻地ともいうべき場所だ。陽当たりは悪く、キノコでも生えそうなくらい湿っぽい。それに入り口からもカウンターからも遠いのだ。会計してトレーを受け取って、ここまで歩いくるだけでスープが冷めそうなほどだ。
 それゆえいつも人気がなかった。この『人気』は『にんき』とも『ひとけ』とも読むことが可能である。小さなテーブルはたいていいつも空いていて、対面に座る者もないのだった。おかげで大変に静かだ。
 魂霊(リバイバル)だから薄暗い場所がいい、と決めているわけでもないのだが、喧噪を避けゆっくりと食事することを優先した結果、クロスはこのテーブルで昼食につくことが多かった。そもそも魂霊に食事が必要なのかという根源的問題は、習慣だからの一言で説明しておこう。
 今日も優雅な昼食に入ろうとしたというのに、クロスは戸惑うことになった。
 クロスの小さなテーブルに、相席する姿があったのだ。
「ここ、いいかしら?」
 グラマラスなローレライ女性である。蜂蜜色の髪を腰までのばし、長い睫毛でほほえんだ。どうやら制服は仕立て直したものらしく、胸元が大きく開いている。
「え……ああ」
 問題ない、とゴニョゴニョ言ってみたクロスは、スープ皿から顔を上げられなくなっていた。
 まぶしすぎる。彼女とまともに視線を合わせることはできそうもない。ローレライは海藻を好むという偏見が世間にはあるが、彼女のトレーに山と載っているのは肉料理ばかりだ。野菜などゼロである。
「いい場所ね」
 彼女が言った。独り言かと思ったが、どうやら自分に話しかけているとクロスも理解する。
「そうかな? 遠いし暗いし、なによりジメジメしている」
「でもシックだわ。あなた、センスがいいのね」
 シックといっても病気(sick)のほうが近い気がするがね――と軽口が頭に浮かんだもののクロスは口をつぐんだ。クロスの沈黙をどう受け取ったのか、
「【マグダ・マヌエーラ】よ、新入生。よろしくイケメンさん」
 テーブルごしにマグダは手をさしだしてきた。
 新入生らしからぬ、とクロスは反射的に考える。学園は別として、世間一般にはリバイバルにふれることすら怖がる『生者』が多いことを考えれば異例の行動であろう。
 おずおずと握って、つい、自嘲的に言ってしまう。
「イケメンさんはやめてくれないか? 俺はクロス・アガツマ、平凡なリバイバルだよ。まあ、リバイバルの時点で『平凡』かどうかは解釈がわかれるところだが」
 第一印象は悪いだろうな、とついネガティブになってしまうクロスだったがマグダの反応はまるで逆だった。
「面白いことを言うのね。イケメンに加えてユーモアまであるなんて最高ね」
「さあね、いたって平均的だと思うのだがね」
 自分は古いのだろうか、とクロスは思う。『イケメン』と誉められてもあまり嬉しくないのである。軽く品評されているというか、八百屋に並んでいる野菜になったみたいに感じてしまうのだった。どうせ呼ぶなら『二枚目』とかにしてほしい。そんなの古語かもしれないが。
 ただ、マグダというこの女性は自分に好意的なことはたしかなようだ。やたらと話しかけてくる。それなりにエスプリのきいた回答をするたび、いちいち面白がるし感心する。クロスとしてはそれほど、格別のことを口にしたつもりはないのだが。
 あげくマグダはこう言った。
「あなた素敵ね! クロスみたいな人と友達になれて嬉しいわ」
 いきなり友達ときたか!
 しかもマグダは、ゴージャスなバストを前面にして身を乗り出しているではないか。
 いい匂いがする。ミルクティーのような――。
(ああっ、くそぅ……距離が近い!)
 クロスの額を汗が伝った。物理的な意味でのスウェットではないかもしれないが、それでも冷や汗であることはまちがいがないだろう。
 いつの間にかクロスはマグダの顔を正面からとらえていた。そうでなければ彼女の胸を見ることになってしまうからだ。最低限のマナーをやぶらぬ程度には紳士のつもりだ。しかしそうするとどうしても、マグダの美しい容貌を目の当たりにせざるを得ない。
 彼女は美人だ。本当に。どうしようもないくらいに!
(くっ……この俺が、心を乱されるなんて……!)
 ゴージャス美女に『友達』認定されたら背に翼を生やし舞い上がるべきかもしれないが、クロスはそこまで単純にできていなかった。
(だがまあ落ち着け。彼女は本気か?)
 ハッピーより疑いが先に来るのである。
 豁然としてクロスは目が覚めた。これは何かの陰謀にちがいないのだ。
(まさか……噂に聞く罰ゲームで、さえない奴と付き合う系のあれか!?)
 と決めてかかると浮ついた気持ちも氷のように静まる。
 つづけて探りを入れてみる。新入生というマグダは単身で学園にやってきたのか、同じようなローレライ留学生(?)と一緒ではないのか、と。
 おや、というようにマグダは眉を曇らせた。
 迫れば迫るほどタジタジとなり、こいつチョロくない? と甘く見ていたクロスが、急に反撃に転じたからかもしれない。
「ええ、私以外にもいるわ」
「なるほど見えたぞ。そうやって君たちは、俺たちを揺さぶろうとしているんだろう」
「揺さぶる? どういう意味かしら」
「うまく口車にのせ、学園から情報を引き出そうというのか。それともヘッドハンティングしようというのか。おおかたそんなところではないのかな?」
 確証あっての言葉ではなかったが、クロスはあえて切り込んでみた。
「あら?」
 イエスともノーとも言わず、マグダは蠱惑的な笑みを浮かべる。
「クロスのことが気に入ったからモーションをかけてみた、とは思わない?」
「それはないな」
「言い切るのね?」
「自信を持っているからだ」
 息を吸い込むとクロスは断言したのである。
「俺が急にモテるなんておかしい!」
 力を込めて言いたす。
「絶対にだ!!」
 ――引くかと思いきや、静かにマグダは息をついただけだった。
「……ええ、私はあなたを我々の陣営に勧誘に来たの」
「だったら辞退させてもらうよ。俺はまず霊玉の責任を果たさないとならない。逃げたくはないからね」
「そうみたいね」
 でも忘れないで、とほほ笑むとマグダは言った。
「勧誘相手をあなたに決めたのは私自身。クロス、あなたが自分で言うほどダメな相手だったら、声をかけてなかったわ」
「……嬉しいよ。たとえ嘘でもね」
 マグダはそれ以上何も言わず、うなずいて立ち上がったのである。トレーを手に取る。山ほどあった肉料理はいつのまにか、きれいにたいらげられていた。
「また会いましょう。ここのご飯も気に入ったし、あなたとの会話、楽しかったから」
「待ってくれ、マグダ、君はリーベラントから来たのだろう?」
 去りゆくマグダの背にクロスは呼びかけた。
「クラルテ王の病……本当にただの病なのか?」
 彼女は何も答えず、軽く肩をすくめただけだった。

 ★ ★ ★

 生ぬるい水に両手を入れ、【ヒノエ・ゲム】は音を立て皿を洗う。
 機嫌はよくない。
(……何の話だよ、あいつ)
 先ほどクロスがヒノエのもとを訪れた。旧交でもあたためる気かと思いきや、
『ヒノエ君。急に近づいてくる人間がいたら気をつけるんだ。相手をよく知るように』
 と謎めいた助言を口にしただけである。他の知り合いにも知らせないと、とクロスは急ぎ足で去ったので真意はわからない。
(相手をよく知れ、って……お前らだって私のことをよく知ってるのかよ)
 そんなヒノエの背を、厨房の少し離れた場所から【ベイキ・ミューズフェス】が見守っている。
 ベイキもクロスから話を聞いた。手短な内容だったが、先日のリーベラントの妨害も記憶に新しいこともあり、ベイキはすぐに状況を理解した。
 驚きより、やっぱりという気持ちが大きい。
 今度は学園内に何かしかけてくる可能性がある。
 学園長の開放的な方針もあり、校内は基本立ち入り自由だ。学外の住民や観光客も訪れる。制服だってレゼントで買えるから、学生のふりをして紛れこむことだって容易だ。
(とりわけ内外の出入りが激しいのはこの場所だから)
 と考え、数日前からベイキは、いくつかある学食の、最大のものの厨房に入り調理人として働いていた。ちょっとしたバイトになるし、料理の腕が活かせるのもいい。
 もちろんそのままではベイキの可憐な容姿は目立って仕方がないから、三角巾を頭とマスクがわりにまいて、眼鏡をかけて前屈みで、年齢不詳の女性として勤務している。
 やがてベイキは、学食を訪れる怪しい人物に目を付けた。
 自分とおなじローレライだ。ただしまだ十二歳前後の少年で、はっきりいってちびっこだ。制服姿でもないし学外の人間だろうか。
 ぱっと見は無害な美少年風だが、ベイキの第六感は彼に対し『危険!』と激しく告げていた。少年は目の奥に、腹黒い色彩を宿しているのだった。
 少年はヒノエに話しかけに来る。それも連日。食堂が空く時間帯になってから。
(来た!)
 鰺(アジ)をさばく手をとめ、眼鏡の奥からベイキは少年を観察する。
 今日も彼は来た。やはり閑散とした頃合いを見計らうかのように。
 ヒノエは一部生徒に人気があるそうだが、学園生ならこの時間帯は授業があるはずだ。少なくとも連日は無理だろう。
 流れるような手つきで魚を三枚におろし、ベイキはキュウリを手に取った。
 気づかれないよう近づいて、ギリギリの距離からヒノエと少年の話を聞く。
「ねえ、今日仕事が終わったら少し話せない?」
「なんでだよ?」
「デート」
「デ……! 大人をからかうな!」
「僕、ヒノエさんのこと好きなんだ。デートといってもちょっとお話したいだけさ。いいだろう?」
「嫌だと言ったら?」
 ところが少年はヒノエにこたえず、
「第七校舎だっけ? あの裏手の雑木林で待ってるよ」
 と告げると、トレーをヒノエの手から受け取って去って行った。
「……」
 ヒノエは親指の爪を噛んで、少年の背中を見送っている。
 だから気づいていないはずだ、ヒノエは。
 トレーに乗ったA定食のサラダに、今日だけベイキ特製キュウリの飾り切りが載っていることに。
(それにしても、『大人』って)
 ベイキはくすくすと三角巾の下で笑った。
 まだヒノエは十四歳なのだ。
 さて次は――とベイキは学食厨房の裏が見える窓を目指し走り出す。
 ここからなら木立が見えるのだ。陽はすでにかげりはじめているが、なんとか数人の人影を目視することができた。
 全員ローレライだ。 

 すっかり寒くなった。今宵は風も出ている。
 外套の前を押さえながら、ヒノエは赤い髪をなびかせ雑木林に足を踏み入れた。
「こんな時間にこんな場所で……アホかまったく……」
 でもホイホイ出てきた自分が一番アホだ、とつぶやいた。
「ヒノエさん!」
 明るい声が彼女の足を止めた。
「ミゲル……うん?」
 一人じゃないのか、とヒノエは尋ねた。正面に立っているのはミゲルを名乗るあの少年だ。しかし今は、傷ひとつないパールレッドのプレートメールを着ている。
 そこにはあと三人いた。蜂蜜色の髪をしたグラマラスな女性、白桃色の三つ編みをした眼鏡の少女、濃いブルーの髪の青年、いずれも着ているものこそ異なれどそろってパールレッドの扮装に身を包んでいる。
「来てくれたんだねヒノエさん。私は【ミゲル・シーネフォス】、ローレライ国家リーベラントの王子だ」
「どういうことだ?」
「わからない? ヒノエさん、いや、ヒノエ、私は君にガラスの靴を与えようというのだよ。リーベラントに連れて行ってあげよう。もうみじめな生活とはお別れだ。私と来れば贅沢ができるぞ。妃は無理としても、側室くらいの座は……」
 ハァ!? と声を上げたヒノエの横から、
「アホ王子様に忘れ物でーす。お届けに参りました」
 と割り込んできた姿がある。ベイキだった。にこやかに三角巾と眼鏡を取って、両手にもったトレーを持ち上げる。
 泥にまみれたA定食の成れの果てが載っていた。ぐちゃぐちゃだったが、それでも元のかたちに戻してある。
「私学食で働いてるんですけどね、ここ数日……学食の裏にほぼ一食分の食事が棄てられてるんですよね。厨房の他の人も見てるし、忙しい時間帯にはない」
 なんだお前は、とミゲルはベイキをにらみつけた。
「私が犯人だと? 言いがかりはやめてもらおう」
 しかしベイキは動じない。
「それでちょっと、疑わしい人のお皿に置いてみたんです。これ」
 と、キュウリで作った薔薇の花を示す。
「包丁で薄ぅく切ったキュウリを巻いて作ったものです。簡単そうだけどちょっとテクニックがいるんですよ……で、こちらを本日の午後、ミゲルさんのお皿に載せてみたというわけで。この薔薇は今日、たったひとつしか作っていません」
 さっとヒノエの顔色が変わった。ミゲルもだ。しかしミゲルは居直るように、
「だからどうしたというのだ! そんなもの……」
「このクソガキ、食べ物粗末にすんな」
 ベイキは静かに、しかし有無を言わせぬ口調で断じた。
「クソガキだと? 私が何歳だか知っているのか」
 ベイキはいささかも動じない。
「王子こそ、私が何歳だかご存じですか?」
 薄笑みを浮かべるとミゲルがたじろぐのがわかった。
「これ以上の問答は無用です」
 トレーを置くなりベイキは、持参のカジキマグロ鈍器をふりあげたのである。
 鈍器が狙ったのはミゲルの頭ではなかった。彼の足元の地面だ。打撃職人の一撃、重く低い音がして周辺の地面は円形に陥没した。
「先日の水塞攻略戦における妨害につづいてこの所業、私たち対魔王陣営を割るようなことするなんて……それが同盟相手のすることですか。まさか魔王軍から軍師でも雇ったんですか?」
 やはりベイキは声は荒げない。だが毅然として反論を許さなかった。
「……ここで引き下がるなら良し。どうしてもというのなら一戦交える覚悟です。おなじローレライ同士、気は進みませんが四対一であっても受けてたちます」
「いや、四対二だ」
 ヒノエが拳を握ってベイキの隣に立った。だが顔をベイキからそむけている。
「まんまと乗せられた自分が恥ずかしい。……恥ずかしくて、見せる顔がない」
 ミゲルが舌打ちするのが聞こえた。
「それでも我々は同盟者。直接戦闘は兄王より禁じられている」
 引き上げるぞ、とミゲル一行はその場から立ち去った。
 息を吐くとベイキはトレーを持ち上げた。
「帰りましょうか?」
 ベイキは、ヒノエにはそれ以外の言葉をかけなかった。
 彼女が泣いていることを知っていたから。

 ★ ★ ★

(量や手軽さをいうなら、デジタルのほうがずっと便利なんだけどね)
 だとしてもやはり、古い書物の魅力は否定できない。かつていた世界にはなかった感覚だ。
 本日も書籍の香りを吸いこみながら、【七枷・陣】は大図書館ワイズ・クレバーの書庫で知の探索をつづけている。
 この世界が複数の異世界とつながっていること、『特異点』と呼ばれる異世界への門の研究が進んでいることは先日ついに明らかになったものの、だからといって本を探す楽しみが奪われたわけではなかった。目下のところ陣の目的は、特異点を制御する確実な方法をみつけることにある。
 革張りの太い本を書棚からひっぱりだそうとしていたところで、陣はふいに声をかけられた。
「あの……」
 右手の方角から、ほんのり桃色がかった白い髪の少女がやってくる。ローレライ族だ。ローレライにしてはめずらしく髪を三つ編みに束ねていた。肉感的という単語とは永遠に縁がなさそうな細い体つき、大きなたれ目で、やはり大きな丸眼鏡をかけている。
「こ、こんにちは。七枷さん、ですよね? いま、お時間ありますか……?」
 つっかえつっかえ彼女は話した。
 対する陣の声色はなめらかだが、温度のほうはマイナス四度以下だ。
「なに? リーベラントとかいう国のスカウト?」
 ひゃ、と少女は小さな声をあげる。
「どうしてわかったんですかっ……!」
「わからないはずないでしょ」
 もう陣は少女に目もくれない。さっきの本の目次をひらいていた。
「昨日のことなら聞いたよ。生徒を籠絡して学園を弱体化しようって小細工を、手下を引き連れた王子様がしかけてきたって。ぜんぶ失敗して退散したってことも。お前さんは帰りそびれたの?」
 犯人のわかっている推理小説を読むより味気ない話ではないか。
 そもそもだ。
 色じかけをしてくると聞いていたのに、自分のもとにはこんな幼い子を送りこんできたのはどういう了見なのか。
(この子どう見ても十二、三じゃないか。こちとらアラフィフのおじさんだよ? 外見がこれだからって甘く見すぎじゃない? ていうかリサーチ不足!)
 かといって妖艶な美女がきたところで反応は一緒だろうけど、とも思う。お引き取りいただくだけである。
「私、【リリィ・リッカルダ】と言います。リーベラントから来ました」
 素直に少女は認めた。でも目線は自分の靴である。
「おじさんは七枷……あ、もう知ってるんだっけ。とにかく、おじさんは転移魔法の資料探しで忙しいんだよ、スカウトとかそういうのはお断りなんですけど?」
 リリィはしばらく言いよどんでいたがやがて、知識ならリーベラントには多数の蓄積がある、といった内容をつらつら述べはじめた。
 だがリリィの発言は、用意したセリフを読んでいるようにしか陣には聞こえなかった。おそらく、こざかしいミゲル王子とやらが作ったものだろう。白けるばかりだ。
 意地悪するようで心が痛むが、ミゲルへの返答として言う。
「ほう、そちらの国にはそれがある? 取得してる導師も多数? そりゃあ結構なことだねぇ。で、その魔法の名は? 消費魔力は? 効果範囲は? 転移可能距離は? それだけ大言吐けるんだ、当然答えられるよねぇ?」
 たちまちリリィは黙ってしまった。
 だろうねえ、とため息をつき陣は優しい口調で言う。
「リリィ、心にも思ってないことは言わんことだよ。自分自身も騙せん嘘は、聞いている人を不快にさせるから」
(この子泣いてしまうかもしれないな。さすがに言いすぎたか……)
「……すいませんでした。ミゲル様の言葉じゃなく、自分の言葉で語ります」
 リリィは泣いたりしなかった。いや、半分ベソをかいてはいたが、これまでで一番大きな声で言ったのである。
「私……異世界のこと知りたいんです! 行ってみたい! だから私、七枷さんに憧れてます! 七枷さんに会いたくて学園(ここ)に残りました!」
「え……おじさんに……!?」
「地面がなくて、かわりに大きな船が空に浮いてて、すべての人がその船の上で暮らす世界から七枷さんは来たんですよね! もとの世界に戻りたくて、ずっと研究してるんですよね! 本当は私のお父さんくらいの年齢なんですよね!?」
 リリィの瞳がかがやいている。
「私、七枷さんの研究、手伝います! 助手にしてください! いずれ特異点はリーベラントが学園から奪い取ります! そうしたらたっぷりと研究できるはずです! 遅々として研究の進まない学園に任せず、私たちで異世界への門をひらきましょう! そして私を異世界に連れて行ってください!」
 圧倒されそうな勢いだ。
(この子……マジだ……!)
 ミゲルが作ったらしき説得の文句が不快だったのは、美辞麗句をちりばめながらも、骨子の部分で彼がこっちを舐めているのが丸わかりだったからだ。人生経験を積んできた陣にとっては三流脚本もいいところだった。
 けれどリリィの本心はちがう。思いつくままだが計算がない。ピュアだ。
 ピュアだけに、かわしきれない……!
 リリィは両手を胸の前で組み、じりじりと陣に迫ってきた。陣は後退するもまもなく本棚に背をぶつけた。
「七枷さん、お願いします! 私、なんだってやりますから……! 使いっ走りだって炊事洗濯だって……七枷さんが望むことすべて……」
「待って」
 と、陣は両手でそっとリリィを押し返した。
「お前さんの熱意はわかった。でも年長者として、そんなこと軽々しく口にすべきじゃないと忠告しておくよ。少し頭を冷やしたほうがいい」
 ゆっくりと言い聞かせる。
「悪いけどおじさんは学園を離れる気はない。お前さんの国が特異点を奪い取る気なら防衛する。そう王子に報告してきな。それでもまだ手伝いたいなら、また話そう」
 今日はそれでいいねと言い聞かせると、名残惜しげにリリィは姿を消した。
 深呼吸して両手を腰に当てると、
「さて……」
 左手の本棚に向かって陣は言った。
「そこな影で様子みてるアホ校長、出てきなさい」
「アホ校長はないだろうチミィ~。せめて出歯亀校長とかにしろよな♪」
 くすくす笑いながら本棚の影から【メメ・メメル】が姿を見せた。
「オレサマが隠れてたこと、ようわかったな☆」
「小声で『やれー! 押し倒せー!』とか言ってたでしょ? 聞こえました」
「おっとミステイク☆」
「そんなことしませんから! こんな姿形でも、おじさんアラフィフ紳士ですから!」
「へへへ、わかっとるわい」
 けれどもメメルはニヤニヤ笑いだ。本当にわかっているのか。
「でもまあ、誘いを断ってくれてオレサマがほっとしておるのは事実だぞ」
「入学当初なら誘いに乗ってたでしょうね、藁をもつかむ心境ってやつで」
 でも、と陣は前置きして告げた。
「ここに入って家族の一人と再会できたし、そもそも最初の最初、あの草原で途方に暮れてるのを校長がひろってくれなかったらガチで詰んでただろうし? 恩義くらいは感じてるわけですよ」
 陣が表情をやわらげると、メメルも自然な笑みになる。
「そうか」
 そうです、と陣は言った。
「自分のいた場所に帰る、その目的が変わることはないけれど、そのときがくるまでは、学園の一員でいる義理は果たしつづけたいって、おじさんは思ってます」
「ありがとう」
「え?」
「なんじゃい、オレサマが素直に礼を言ったら変か? まーでも言わせてくれや☆」
「変じゃないですよ。でも似合わないな、って」
「ほっとけ」
 むくれたようにメメルは腕を組む。だが顔は笑っていた。 
(それに、少ないけど)
 陣は思った。
(ここでできた縁……というか、しがらみもあるしね)



課題評価
課題経験:60
課題報酬:1600
【泡麗】誘惑の吐息
執筆:桂木京介 GM


《【泡麗】誘惑の吐息》 会議室 MeetingRoom

コルネ・ワルフルド
課題に関する意見交換は、ここでできるよ!
まずは挨拶をして、一緒に課題に挑戦する仲間とコミュニケーションを取るのがオススメだよ!
課題のやり方は1つじゃないから、互いの意見を尊重しつつ、達成できるように頑張ってみてね!

《終わりなき守歌を》 ベイキ・ミューズフェス (No 1) 2021-10-14 07:03:11
教祖・聖職コースのベイキ・ミューズフェスです。よろしくお願いします。
私はヒノエさんに集ってる悪い虫を、追い払うことにしようかと。

まあ、こいつら……ウダウダ言ってる状況じゃないのに、陣営を割るようなことするなんて……魔王軍にでも寝返ったんですかね?
アークライトと組むのも、アークライトの寿命が極端に短いから、自分達が主導権握りやすいと踏んででしょう。

それに、アークライトは光属性ですし、魔王に対抗する旗頭に据えるには……最適でしょうからねえ。

一応、こちらはアヤシイ引き抜きには気付いても、相手の正体はわからない体でしょうし、正体隠すってことは……後ろめたさもあるでしょう。
思う存分無礼を働こうそうしよう。

《勇者のライセンサー》 フィリン・スタンテッド (No 2) 2021-10-14 17:25:16
勇者・英雄コースのフィリンよ。よろしく。

行動…ちょっと悩むのよね。
ベイキも言うように、なんでそこまで内輪揉めするのかなって。
(私たちがやらかしたせい? それはまぁうん…反省しています)

その辺り、急に不審が高まった裏がないか調べられたらと思うんだけど…
引き抜きに乗ったフリをしてダブルスパイ、ってやっぱり危険かな?

学園の流れ(ガイド)は誘惑に負けるな、って感じだしかなり危険なのは承知なのだけど

《人たらし》 七枷・陣 (No 3) 2021-10-15 23:04:19
賢者・導師コースの七枷陣だよ。なんか超久しぶりな気もするけど…気の所為だよねきっと。

勧誘してくる美人局とかミゲルとかを言い負かして凹ます行動で行くつもりなんでよろしくねー。

《終わりなき守歌を》 ベイキ・ミューズフェス (No 4) 2021-10-17 19:33:30
んー、七枷さんがミゲル対処に行くなら、私はどうしましょうかね。
個人的に他にも気になる方が……居るには居るんですよね。

お水なフィリン先輩とかシトリ先生とか。
ふたりとも謎が多くて、しっかりされてるんでリスクは少なそうですが、もし「あちら側」に行ったら脅威なんですよね。

さて、どうしよう。

《終わりなき守歌を》 ベイキ・ミューズフェス (No 5) 2021-10-17 20:00:11
まあ、そうは言っても出発日ですし、誰が誰相手とかも読めない部分あるんで、当初の予定通り行きますか……。

《終わりなき守歌を》 ベイキ・ミューズフェス (No 6) 2021-10-17 20:02:26
言ったつもりで言ってなかった。
フィリンさんのダブルスパイ案、リスクもあるけどリターン大きそうですし、いいんじゃないでしょうかね。